こだわりを手放す

哲学

生きていると
「どうしても欲しい!」
「手に入れたい!」
「手に入れるまで我慢できない!」
激しい欲望にとらわれる時ってありますよね。

例えば現代は消費社会
物を作る→SNSで商品を紹介→→購入したい!欲

最近であればSNS普及により承認欲求を満たすためのいいね!
たくさんの人にいいね!をもらうために賞賛をもらう投稿をする
色んな欲求が日常的に発生していますね。
そんな欲求に心が囚われてしまうと心はその状況に執着してしまいます。

心は不安と恐れ、悲しみ、怒りで忙しくなってしまいます。
欲望が心を浮き沈みさせ、執着→依存状態→中毒になってしまうこともあるでしょう。
自分以外の何かに依存してしまうと、心の静けさを求めることが不可能となります。

物質に自分という大切なものを奪われると、不安や思い通りにならない怒りや悲しみ、失う恐れ、満たされないまま何かを求め続けてしまう欲望に心が占領されると、澄んだ心でいることができません。
そんな心を収めるには、心を忙しくしている執着を解き放つのです。

 

心を忙しくしている執着を解き放つ

心を忙しくしている物質(執着しているもの)を解き放つにはどうしたらよいでしょうか?

こだわりを持つその物に、自分の貴重な時間やエネルギーを注ぐ価値があるか?
どんなに魅力的なものであっても、時間が経てば古くなり、壊れて分解し、形を失います。
物事の価値を冷静に見極めることで感情やこだわりという欲望を解放することができます。

何に心が囚われているのか?
その物にそれほどの価値があるのか?

例えば 夢中になっているゲームがあるとします。
ゲームその物に心が奪われていますよね。
夢中になればなるほど自分の時間やエネルギーを注ぎます。
ゲーマーだった過去がある自分だからとてもよく分かります。
寝る間を惜しんだり、休みの日に早起きしてゲームの時間を作っていたこともあります。

ところがある日、そのゲームになんでこんなに時間を費やしているのか?
このゲームをプレイすることで何になるのか?という疑問が出てきます。
その疑問が出てくる時点で自分の中での価値が薄れている証拠
すると自然に「ゲームをする」という執着から離れ自由になることが出来ます。
ゲームは極端な例かもしれませんが、、、

そのものに夢中になっている時はそのものしか見えなくなります。
誰しも夢中になっている時はそうだと思います。
しかしふとした時、立ち止まるきっかけがあった時、主観的な見方から客観的に見てみると
なぜそんなに夢中になっているのか?という俯瞰した見方をすることができます。
冷静になることで見方が変わることでその物に振り回されることがなくなります。

自分の心がかき乱されているな 落ち着かないな と感じたら
適切な距離を置くことでそのものの本質を見るということをしてみましょう

 

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