自分とは何? プルシャ

ヨガ哲学
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毎日生きていると「自分とは何だろう?」と考えることはないでしょうか?
毎日同じことを繰り返して日々を過ごし、1日、1週間、1か月、1年・・・
その中に自分が幸せと感じられる出来事があれば人生豊かになりますね☺
そこからさらに深く「自分とは何だろう?」「自分という存在は何だろう?」と

ヨガ哲学の視点から自分とは?「プルシャ(真の自分)という存在 について

 

プルシャとは?

プルシャとは「真我=本来の自分」
本来の自分=私達が自覚している自分=心や体

私達は毎日、色んな経験、習慣、などで身の回りに起こることを認識し判断しています。
心はその条件に見合ったもの採用し、真実とは異なる捉え方をしてしまう。
プルシャは純粋意識。

 

純粋意識とは?

純粋意識=最も本質的な自分です。

人はなぜか何者かになろうとしてしまいます。
「私はこういう人間だ」と自分の事を理解すると自分の軸が安定し安心できると思っているのです。

その自分らしさとは本当に正しいもの?

職業、身体、心、それらは全て変化するもの

憧れの職業に就いた人は自分の職業の考え方を確立します。

例えばパティシエになった人は、パティシエという仕事に誇りをもって仕事に真摯に向き合うでしょう。しかし、パティシエという職業はとてもハードな仕事です。
体調を崩すと引退せざるを得ない状態になります。

では、今までパティシエとして働いていた人はパティシエとしての自分が引退した後は自分を見失ってしまうのでしょうか?

職業は一生涯必ずしも続けなくてはいけないものではありません。
人間の身体は常に変化し続け、考え方も環境が変わると変化しています。

「自分はこういう性格」と認識していたとしても、
学生時代と社会人になると自分の価値観はとても変わっていますよね。
そうすると変化し続ける自分は本質ではありません。
環境が変わっても変わらない自分の本質を求める=自分の本質をプルシャ(真我)となります。

そもそも私たちの意識は、見えやすいものに向きやすいです。目を開けているとき、目から色や形といった何かしら情報は入ってきますよね。
そうすると自分自身には意識を向けることは難しいことです。
瞑想をしていても、音が聞こえてきたらどうしてもそちらにに意識が向いてしまいますよね。

「私はこういう人間」という思い込みがすでに確立されていると、そのイメージが邪魔をして自分を客観視することができません。
このように、外から入ってくる情報や、雑念、記憶やアイデンティティなどを消していった結果、初めて色眼鏡なく自分を見ることができます。

純粋な意識体は今まで思い込んでいた自分自身に対するイメージと全く違うかもしれませんね。

 

プルシャに出会うことで新しい自分が始まる

本当の自分を見つけることは人生でどのような効果があるでしょう

私たちは、自分自身の作り上げたイメージによって自分の限界を作っていることが多いです。
よくあるのが
「私は身体が硬いから前屈、開脚、できないし、そもそもヨガはできない」
「私は英語が話せないから外国にはいけない」
「私は若くないから地味な洋服を選び、着るべき」
「若くないからいまさらチャレンジしても意味が無い」など思い当たる人は多いのではないでしょうか。
人は慎重で、変化を恐れます。
そのため「自分はこういう人間だ」という言い訳をして、新しい挑戦は避けがちです。
また、過去の記憶も邪魔をすること。
1度できなかったことに対して「私には無理」だと思ってしまうこと。
過去に失敗した記憶があると、同じ挫折を恐れてしまいますよね。
しかし、過去の自分と今の自分は違いますよね。
若い時にはできなかったことが人生経験を積んだ今の自分にはできるかもしれません。
自分に対するあらゆる思い込みを捨てることが大切です。
「私はこういう人間だ」という思い込みを全て捨てた時に人は完全な自由を手にします
新しい自分を見つけるために必要なことは「出来ない」という思い込みは捨てることです。
その思い込みを捨てると、もしくは一歩踏み出すと案外簡単かもしれませんね。

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