イーシュワラとはサンスクリット語で神様
ヨガで言われる神様とは「目の前に差し出されるありのままの世界」です
プラニダーナという言葉は「献身」です
そのため「イーシュワラ・プラニダーナ」とは
「目の前にあるありのままの世界をそのまま受け入れ、自身を捧げていきましょう」という意味です
私たちは今、生きている日常生活で、日々の暮らしに特に問題無ければ、当たり前にある日常に素直感謝する事ができます。(なかなか気づきにくいですが当たり前にある日常も幸せなことなのです)しかし自分が望まない現実を目の当たりにすると「神も仏もあるものか!!」と途端に悪態をついて目の前の現実を拒絶したくなってしまいます。
しかし、自分の望まない現実が目の前に現れた時、ただ拒絶するのではなく、その現実の背後に隠されている意味を考えてみると、望まない現実は未来への重要なステップであることなのかもしれません。自分が望まない出来事であったとしても、その出来事の背景には何かしら自分が気づいていない深い意味が込められているのです。
例えば、お酒が大好きな人がいます。 その人はお酒が大好きなので毎日自分が飲みたい量だけ飲んでいると、体を壊してしまう未来が見えてしまいます。(その人の体質にもよりますが)
その状態を見続けている近くに居る人が休肝日、もしくは節制を伝えます。
お酒が好きな人からしたら望まない現実ですよね。。。
望まない現実であれど、実際実行してみると、今まで自身では気付けなかった
休肝日、節制をすることも悪くないということに気付けますよね。
たとえ現実が自分の望む方向と反対の方向へ向かっているように思えても、目の前の世界の流れに身を任せてみると、その先に思いもしないような新しい人生の扉が開けます。
実際私はヨガレッスンを受ける時、この言葉を知る前は毎日体は同じコンディションではないということを把握していなかったため、いつも全力でレッスンを受けていました。
毎日毎日受け続けていると身体にも限界がくるようで、股関節が痛い、腕の手首の関節が痛いなど
身体は悲鳴をあげているのに、自身自分の身体の事を全く気付いてませんでした。
ある時、レッスンへ行きたいけれどもどうしてもレッスンへ行けない日が続いた時がありました。その後にレッスンへ行くと痛みを感じていた箇所に対して何も感じなくなり、その時初めて休むという選択も必要なんだなと思いました。まさにヨガ狂いな時期でした。
「イーシュワラ・プラニダーナ」ですよね。
その後は
「今日の自身の身体と向き合い今の自分の身体の状況を受け入れてレッスンを受ける☆」を心がけるようになりました。
望まない現実に出会った時、拒絶するのではなく、思い切って目の前の世界の流れに身を任せてみると、その先には自信が思いもしない新しい人生の扉が開けるかもしれません。
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